
聖域は人の手によって作られる/part2
五島列島の旅についてpart1に続いて書きました。 今、人は何を求めているのか? ま、日常を大切にして生きていく事が大事ですね!
おはようございます。
4noです。
RAWCALSの仲間DICEくんからは「現実にお帰りなさ〜い」とのメッセージが届き。。。
愕然・・・うう
そして、夫からは「そろそろ、会社の決算だね」との言葉に。。。
グサっ・・・
そう、ゴールデンウィーク目前に急激に忙しい日々。。。
旅の思い出ももう過去になりつつあるという今日この頃です笑
昨日、夫航輔さんが春から小菅村の森林政策プランナーとして働くべく、小菅の庁舎に行ってきた話を聞きました。すごくパワーのある村みたいです。
この一年間で彼の仕事がどのように小菅村で発揮され、新しい仕事仲間たちと新しい創造があるのか楽しみです!必要とされて働ける、自分のやりたい事ができる時代にこれからもっと、もっとなっていくと思います。場所に拘らず、自分の才能をたくさん伸ばして行って欲しいと私も思います。
昨日は希望にあふれた夜でした〜😄
さて、
- コロナ禍で観光客に閉ざされた教会の今の姿
- 元はそこには何もなかったと言う事実
- 隠れキリシタンとカトリック教徒、仏教徒、日本の古くからの信仰である神道
- 地元は地元で成り立っていくみたいな力
前回の続き
2. 元はそこには何もなかったと言う事実
教会ができるまではそこには何もなかったという事実。
神社、教会、寺院などありきでそこがパワースポットになっていると思い込んでいる事に気づいたんです。
何故、あんな断崖絶壁で鬱蒼とした場にいくつもの天主堂や教会を作ったのかなぁと教会を巡るうちに考えました。
それは、キリスト教の弾圧によって潜伏キリシタンや隠れキリシタンが五島列島という未開の地に命からがらに逃げて移り住み、ここで生活してきた歴史があるからなんですね。
原作 遠藤周作「沈黙」✖️監督 マーティン・スコセッシ「沈黙〜サイレンス」という映画を旅の途中に観ました。
夫は常に勉強熱心で旅の最中であろうとも教養を求めます笑
それに便乗して私も教養を身につけられるので大変助かりますww
それを観て、その時代の酷い仕打ち、人々の翻弄された人生を目の当たりにし、生きるか死ぬかの問題と信仰との深い関係について考えさせられました。
現在は、本当に自由な時代になって、様々な思想や信仰が許されているのもあの時代から言えば驚きですね。
潜伏キリシタンたちはキリスト教禁教令廃止の時期までこの五島列島で生き延び、やってきた神父さんと共に五島列島で初めて「堂崎天主堂」を1980年に完成。やっと、祈りの公共の場を手に入れたんです。
それまでは、野っ原や山の中、小屋などで隠れるように自分たちの信仰を守ってきたのでしょう。
建物があってそこがパワースポットになったのではなく人々の祈りが最初にあって、その具現化を天主堂は果たしたというのが順番なんですね。
建物を作っただけでは、ダメなんです。まず、人間の心がないと。。。
道志村でも塚や小さな祠がありますが、そこは特別な時に人々が集まる、儀式を行う場です。
そういう集まるための目印として建物がある。というのが今回の発見でした。