エドガー・ケイシーの衝撃3
肉体と精神の概念的な分離
前回は、ケイシーのリーディングを受けたラマースの過去世が、僧であったと判明した所まで書きました。
えー?前世なんてものがあるの?
と、ラマースもびっくらこいたわけであります。そりゃそうだよね。
明確に確認しようがないじゃないですか。前世というのは。
僕みたいにある日突然、脳がぶっ壊れて、それで不思議なデータベースにアクセス出来るようになるか、
悟りを開くか。
要するに脳波をシータ波にするかしかないじゃないですか。
普通に生きていたら、探求する気持ちすら持ちませんよね。
輪廻転生あり得るかも?っていう広い視野で、人生に起きる事からヒントを拾い集めて、
段階を踏んでだんだん確信出来るようになっていくのが普通だと思います。
特にケイシーは敬虔なキリスト教徒なので、
輪廻転生という概念はとてもすぐには受け入れられませんでした。
それで、かなり自己問答を繰り返したんですね。
そして、キリスト教の教えの真髄は過去世があるかどうかではないと自分に言い聞かせました。
キリスト教の教えの真髄は、神を愛し、自分を愛し、隣人を愛することにあるという原点に立ち返ったのでした。
現在でも、輪廻転生は一般的な常識ではありませんからね。
ただ、前世の記憶を持つ人も世界中で相当数出て来ていますし、
インターネットが普及して、そういう人達の情報にもアクセス出来る世の中ですから、
今後は輪廻転生を受け入れるという人も少しずつ増えていくのが時代の流れかなと思います。
輪廻転生は東洋文明に多い価値観ですが、西洋文明の中でも受け入れていたのが、
有名どころで言うと、
シュタイナー、カント、ショーペンハウアー、エマーソン、ゲーテ、ピタゴラス、ソクラテス、プラトンです。
輪廻転生が事実だとすれば、色んな常識がひっくり返るわけですよね。
まず価値観として、肉体と精神が分離されるわけでしょ。
肉体はどれだけ鍛えてもやがて年老いて衰えていくけど、精神は永久不滅なわけですよ。
貴方はどちらを鍛えた方がいいと思いますか?
僕は精神を鍛えといた方がお得だなと思いますけども。
若いうちは屈強な肉体を頼りに、得意気でいられたとしても、
年老いたらそれを根拠にした自信であったなら、否応なくへし折られてしまいますよね。
精神を鍛えておけば、今世はもちろん来世でも再来世でも永遠にそれは有効なわけですからね。
健全な肉体は健全な精神から作られます。逆ではないんです残念ながら。本体が精神だからです。
また、ケイシーの本にもたくさん事例が出てきますけど、人間にはカルマというものがあります。
東洋思想的に言えば前世の行いによって生じた業(ごう)というやつですね。
そのカルマを精算しながら、少しずつ経験値をあげて魂をレベルアップさせていくわけです普通は。
このカルマからは逃れられません、何度も何度も、逃げても上手いことやってかわしても、
結局ついてまわるのです。
でも、このカルマからすっかり解放される方法があります。
それは、精神レベルを上げてしまう事です。
小学生に「あいうえお」を教えようとしても、すでにそんなのしってるよ!と言われてしまうでしょ。
もうすでにそれを経験する必要なんてない。
というレベルに自分の精神をレベルアップさせる事です。
精神レベルを上げてしまえば、カルマなんてのは経験しなくて済むって事です。
精神のレベルアップについては別の機会に書きますけれども、
トンテンカンと叩いて固く屈強にするのではなく、
大きく大きく、風船を膨らますようなイメージです。
中村天風がカリアッパ師からヨガの教えを受けたときのように、
固定観念を捨てて、何でも吸収出来るくらい、
視野を広くしていく事です。
僕は自分の肉体の寿命が尽きるまで、そういう考えで精神を磨いていきます。
まだまだ、東洋思想的には僕は凡夫(ぼんぷ)ですけど。
けど、それでも今ものすごく幸せです。
意識をそう定めただけで、沢山の奇跡が起きて人生が良くなっていると思います。
反抗期の僕は修羅の世界にいました。マンガみたいな。
心をどこに定めるかで、人生がまるで変わることを身をもって知りました。
律儀にカルマの影響を受けて、苦しみながら学ばなくてもいいんです。
時代は飛び級ですよ。人生のカラクリがここまで明らかになっているなんて、お得すぎです。
エドガー・ケイシーの本を読んで最初に思った事はまさにそれ。お得な時代だなーって。こんな知識が本で読めるなんてね。
現在はボーナスステージみたいなものです。気付いた人はいくらでも精神的に成長出来る時代です。
ありがとうございました!