悪は「明く」だった
悪は抱き参らせる時代
子供達はテレビで悪役を見て「悪い奴だからやっつけろー!頑張れーウルトラマン!」と思うものですが、
大人として隣りで観ていると「悪役がいるから正義が成り立っていて、そのおかげでヒーロー番組が成立するのだな」と思うものです。
「はい、カットー!お疲れ様でしたー!」
と声がかかれば、着ぐるみを脱いで役者同士で悪役もスーパーヒーロー役も、仲良くご飯を食べるわけですよね。
現実もそれと同じ事だと僕は思っています。
僕のように
「輪廻転生を信じていて、全ての生は宇宙の生成発展の為に魂を磨きに来ている」
と考えるような変な奴は、ぶっちゃけ、悪という存在を
「料理を引き立てるスパイス」
みたいな存在と思っています。
つまり、御役目ご苦労様です。と思っているわけです。
ですが、そんな事を現実世界で堂堂と言っていたら「あいつは血も涙もないクソヤロウ」と思われてしまうでしょう。
だから、まるで映画を楽しむように「やべえ、なんて悪いやつなんだ!イかれてる!」と言うわけです。
皆、死んで魂になったら「お疲れ様でしたー!君の嫌われ役のおかげで成長できたよ、ありがとう!」とか言ってるかもなと、
本当は思うわけです。
日月神示にこんな一節があります。
「悪、アク、開く、明く。あくとは、己の御霊を掃除致して下さる大事な御役目でありますのじゃ。
悪に感謝致されよ。悪に手合わされよ。悪、御役目貴べよ。
悪喜ぶぞ。悪喜んで改心致し、新し御役目と変わられますのじゃぞ。
悪、憎むそなたは、まだまだ改心足らんぞ。うれしうれしとよう笑うて下されよ。
悪、現れて物申すから、感謝致されよ。何処までも感謝致されよ。
悪もそのうち歌うぞ。笑うぞ。共にうれしうれしと歌い、踊り、祭じゃ、祭じゃ。」
というのがあります。
悪とは「明く」だと。その通りだなと僕も思っています。
暗闇があるから、明るくしようとして、電球を発明しようという発想が生まれるわけですよね。
常に明るい世界だったら、誰も電球を発明しようとも思わないはずです。
これは僕がまだ若かりし20代の頃、脳科学の本に書かれていた事だと思いますが、
まず自分の中の常識をぶち壊す第一歩目としてやることは、
自分が大切にしているモノの順位の、上と下をソックリ入れ替える。
というステップがありました。1週間、それを意識してみなさいと。
その時、友達とか家族とか、そういう常識的に1番大切な物をあえて、最下位に落として、
道端の石ころとか、ゴミとか、そういうものを尊いと思いながら1週間ほど過ごしてみたことがあります。
すると、脳が混乱するんですね。
アレ?って。
そのショックで少し凝り固まっていた脳が緩むわけです。
それから、どんどんステップを進めて行きました。
普段なら考えない事を考えるトレーニングもしました。
例えばレストランで食事中に、脱出経路を必ず考えるとか。
とにかく、半年程の間ずっと、これでもかと普段の思考では絶対にしない脳の使い方をしました。
無人島に何か1つだけを持っていけるならどーするか?とか。
19とか20ステップだったと思いますが、そういう事を真面目にやり、
僕は見事、イカレポンチになりました。
まあ、それ以前にイカレ野郎の素質はあったとは思いますが。
知らず知らずに常識で凝り固まっていた脳が、自由に新しい情報や考え方を受け入れはじめたのです。
今では子供がウルトラマンを楽しそうにみている横で、
「もし、本当はウルトラ戦士が悪で、視聴者もずーっと騙されていた編」
とかを、金田一少年が暴いていくというようなストーリーを想像して、
やるな~ウルトラ戦士!いつか必ず尻尾を掴んでやる!じっちゃんの名にかけて。
と、想像して楽しんでいます。
悪というのも固定観念だったと気が付いた時から、なんかこう、世界が広がった気がします。
前に書いたけど、
病気をして左脳がダウンした時、イメージの中に、
サタンと言う存在が出て来て、サタンというのは人類を目覚めさせる為のお役であり、
自分は本当は大天使ルシエルだと名乗ってすーっと消えてった事があります。
ほえ〜。ナニソレ。マジ!?と。
アレで完全にひっくり返ったんです。
それからは人生という映画を、これまでより何倍も楽しめています。
幸せです。
ありがとうございました!