読書の真の価値
読書+想像力=カルマ解消ナリヨ
世間一般でも、読書をする習慣をつけると良いってよく言われますよね。
僕もそう思います。
読書をすると知識が得られたり、他人の人生のエッセンスや学びを疑似体験したりできますよね。
こういうとき、どうしたらいいのかな?と色んな答えを知れるわけです。
さらに、想像力を磨いていくと、本を読んだだけで成長出来るようになります。
身体は一つしかありませんよね。だから、本来はこの身体だけの学びだったら、一個の経験しかできません。
それじゃあ、進化が遅いんですね。種族としても。
そこで、個人の学びを大勢が共有できるようにと「本」がつくられました。
本を通して、もうこの世にいない人からも学びを得られるなんて、非常にありがたいです。
そうして、他者の知識や経験を共有する事で、人類の進化は加速してきたわけです。
そりゃあ、本物、リアルな体験にはかないませんよ。
どんなにリアリティーのあるバーチャル世界でも、人間が作ったバーチャル世界にはオーラがないですから。
ないというか、薄いというか。命あるものは全て、オーラ、エネルギーをまとっていますからね。
厳密には人工物も振動しており、エネルギーを放っていますが微弱です。
それがリアルとバーチャルの圧倒的な差です。
もし本がなかったら、自分の人生のみで、全てを学ばなければならないことになります。
それは、めちゃくちゃ大変だと思います。全ての学びが、我が身に降ってくるわけですから。
辛い目や痛い目に合う事でしか、「こういうときは○○するべき」という事を学べません。
言い換えれば、カルマを100%自分の人生で経験するということです。
カルマ(業・ごう)は罰ではないので、本来は必要のないレベルにまで精神的に成長してしまえば、経験する必要はないものです。
学びの為にあるものですからね、カルマというのは。
中学生に「あいうえお」を教える必要はないから、そこは当然すっ飛ばすのと同じです。
もう経験する必要のないカルマは、消えてなくなるわけです。
因果応報というルールがこの世界には確かにあります。
今世で悪い事をして上手く行っても、来世や再来世でそれを必ず償わなければならないんですね。
正しく学ぶまで、何度も何度もやってくることってありますよね?
学校を変えても、会社を変えても、住む所を変えても、付き合う仲間を変えても、何故か同じ問題で苦しむとか。
でも、正しく学んだらピタっと止んで、もうそれ以降は起きなくなるんです。
それはその人の精神的なレベルが上がったからです。
まあ、今はまだ、あまりそういう仕組みにまで言及すると宗教的に聞こえてしまうのでやめますが。
素晴らしい人とリアルで出会えて教えを受ける事も、もちろん大事ですよ。けど、それだけでは圧倒的に機会が少ないはずです。
本を読み、ある程度の知識を持ってからの方がスピーディーだと僕は思います。
僕は大人になってからは特に科学書、脳科学、そしてその後は精神的な分野の本を多く読むようになりました。
これまでは脳科学の時代だった。僕も物理的な脳の機能に興味をもったわけです。
そして、これからは脳をも司る精神の時代だと気付き、精神世界の事に興味をもったわけです。
読書という行為は、知識を増やす。
そして、それで終わりではありません。
想像力が高くなってくると、読書をしただけでカルマをわざわざ経験しなくても済むようになります。
その事に若い時に気が付いたおかげで、僕は幸せに人生を歩めていると思うと、
小さい時から読書の習慣をつけてくれた両親には、感謝の気持ちで一杯になります。
お父さん、お母さんありがとう。
そして、これまで出会った沢山の本たち、ありがとう。
そして、まだまだこれから出逢うであろう素晴らしい本たち、待っててね!
そんなことを考えた一日でした。なんかねー枝豆を収穫しながら、ふと考えていたわけです。
長くなりました。
ありがとうございました!